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社会デザイン学会のお知らせ 2020年度-2号

<北山会長からのメッセージ>

ご無沙汰しております。会長の北山 晴一です。COVID19によるパンデミック状況の中で、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。 今日は、みなさまに新しい提案をしたいと思い、メッセージを送ることにしました。


提案は2つあります。 最初の提案ですが、これはちょっと先のことになります。 直ちにどうこうできるものでないことは承知の上ですが、 現在のパンデミック状況から見えてきた社会デザイン学上のさまざまの課題について、 学会として正面から議論のできる場、何らかの発表の場を設けたいと願っております。


企画のタイトルとしては、たとえば「パンデミックと社会デザイン」(仮題)など、 いろいろ考えられると思いますが、これにこだわるわけではありません。 まだ先のこと、余裕があります。


2つめの提案は、「ニューズレター」(会長からのwebメッセージ)開始の提案です。 みなさまご承知のように、5月25日、緊急事態宣言が解除されました。 しかし、しばらくの期間は、ライブで意見を交わす機会をもつことはむずかしいかもし れない、 そうであれば、学会として行える事柄が物理的に限定されてしまうだろう、 とはいえ、web形式であればできることはたくさんある…。


ということで、これからsocial distancingの必要とされるこの数か月のあいだ、 会員のみなさまとの距離をむしろ近くできるチャンスだととらえ、 そのためのツールとしてこの「ニューズレター」を(定期的に、とはお約束できません が)活用していきたい。

これが2つめの提案になります。 すでに、このwebメッセージがその提案の最初(第0回)の実施ということになります。

 

以下、私からのミニメッセージです。 ミニにしては少し長いかもしれませんが、しばらくの間お付き合いください。


 

ご存じのように、私たち社会デザイン学会は 21世紀の文明社会の危機管理を、その研究教育の重要な柱として構想され、 設立された学会です。

現下の新コロナウィルスによって起こされたパンデミック状況は、 2011年3月11日に発生した東日本大震災と直後の津波による原発事故災害の場合もそう でしたが、 20年前に私たちがすでに危惧していた事態、すなわち文明社会の危機管理の困難さとそ の重要性について、 恐ろしいほどの生々しさをもって教えてくれます。


いずれの場合も、文明社会の進展によって生み出された危機であることには違いがあり ませんが、 いうまでもなく原発事故災害と今回のパンデミック状況とを同一に論じることはできま せん。 なぜなら、原発事故災害は避けることができたかもしれませんが、 ウィルスによる感染症は、いまから約1万1000年前に人類が農業生産を開始し動物と共 棲する生活様式を選んだとき以来、 言い換えれば、人類が農業生産を向上させ人々が集住する都市文明を築き上げてきたと き以来、 不可避の条件となってしまったからです。


ご存じのように、ウィルスにはウィルスの生き残りの知恵があり、 発症は抑えられてもウィルスを撲滅することなどできないのが実態です。 ですから、いくつかの国の愚かな政治家がいったような「ウィルスとの戦争」などして も勝ち味はなく、 飼いならすほかないし、これまでも人類はそうやって長い時間をかけて (たとえば、抗体保持者が人口の70%前後になるまで家族や知人の亡くなる悲しみに 耐えながら、 あるいは、ワクチンや治療薬の開発によって)生き延びてきたという歴史的事実を思い 起こすべきでしょう。


ところで、生き延びるための知恵は、 社会の側から見れば、社会のガヴァナンス(統治)の問題ということになりますが、 (かつてのように)社会の生き残りを優先的に考える考え方は、 言うまでもなく個々人の幸福(そして、いのち)を犠牲にした統治法であり、 そうした統治法はいまではマイナスの効果しか持たないため、表向きには主張すること ができなくなっています。 しかし、表向きに主張する声は低くなってきたにしても、現実には統治のメインストリ ームはほとんど変わっていません。 残念ながら、それが歴史的真実のようです。


イスラエル出身の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、 『サピエンス全史』の末尾で次のような感慨を述べています。 「私たちは環境を征服し、食物の生産量を増やし、都市を築き、帝国を打ち立て、広大 な交易のネットワークを作り上げた。 だが、世の中の苦しみの量を減らしただろうか、人間の力は再三にわたって大幅に増し たが、 個々のサピエンスの幸福は必ずしも増進しなかった…。」 (ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』河出書房新社、2016年、原題:Yuval Noa h Harari, SAPIENS:A Brief History of Humankind, 2011)


ここで、ハラリは「人間の力は再三にわたって大幅に増した」といっていますが、 この「人間の力」の部分は、私なら、「人間の知恵」と読み替えたくなります。 「人間の知恵は再三にわたって大幅に増したが、個々のサピエンスの幸福は必ずしも増 進しなかった…。」ということです。 まさしく現在のパンデミック状況を明確に理解させてくれる言葉ではないでしょうか。 それほどにも、いま、文明社会の知恵が試されているといってよい状況に私たちは置か れている、 そう思えてなりません。


この『サピエンス全史』の推薦帯には「文明と進化の歴史を幸福の視点から問い直す( 書)」(山極壽一)とありますが、 こうした作業をずっと以前から(1960年代から)試みてきたのが、ミシェル・フーコーで した。 フーコー自身は医者ではありませんが、フーコーの父も祖父も、母方の祖父も医師(と いうより医学者)であり、 医学を歴史的な文脈に入れて研究するにはベストの環境にいたはずです。 そのフーコーが『18世紀の健康政策』(1979年)や『臨床医学の誕生』(1963年)といった 著作のなかで、 繰り返し指摘していることが2つあります。


ひとつは、近代の為政者と統治の理論家たちが、 経済的発展と社会的安定を保証する不可欠の条件として住民の「健康」の維持に注目し 、 その結果、統治の重要なツールとして「健康政策」の推進に努め始めたという指摘です 。


いうまでもなく「健康」は、市民の側からすれば自らの幸福追求(毎日のまっとうな暮 らしを続けていくため)の 不可欠の条件として日々願わずにはおれないわけですが、じつは、そうした市民の願い は、 国力の発展を第一に考える当時の為政者や統治の理論家から見れば二義的な意味しかも っていませんでした。 言い換えれば、「健康政策」の主体はあくまでも国家の側にあり、 住民はつねに客体の位置に留め置かれ、「健康政策」の恩恵は受けるにしてもその主体 となることない、 それが当時の「健康政策」の基本理念だった、 これがフーコーの指摘の概要です。


もうひとつは、当時の医師たちの頭の中にあったことへの批判です。 当時の医師たち、というよりも医学の専門家たちにとっての最大の関心事が 「医学的な知の探究」(病気の本質の解明と分類)におかれていたこと、 いいかえれば、患者の治療は二の次であったことへの批判です。


これらの指摘は、医療が市民のものとなるためには、 市民自身が声を上げない限り(フーコー的な言い方をすれば、市民が医療の主体となら ない限り)、 市民の健康は維持できないということを教えてくれます。 さらにはまた、専門家の知見は重要だが、専門家にお任せしてしまうことがいかに危険 かということも教えてくれます。 医師は医療の専門家であっても、社会のガヴァナンスについては一般市民と同じレベル です。 しかも、医師に限らず、いわゆる専門家の陥りやすい職業病があるので用心が必要です 。 どんな職業病かと言えば、フィードバックの効かない思考パターンに閉じ込められ易い (自分がいちばん正しい、いちばん偉いと思い込んでしまう)という病癖です。 その結果、ミスを犯しても、修正することなくさらに重大なミスを引き起こしてしまう リスクにはまりやすいということです。


あらためて、個人(生身の人間の自由と安全保障)と社会(枠組みの安定とダイナミズム) の両方の観点から 危機管理の問題を考えることの大切さに思いを馳せます。 そして、ふたたび、「国は国を助けるが、国は人を助けない」という警句を思い出しま す。 何事も他人事、他所事にしないという覚悟があるか否か…が大事です。 なによりも、私たち自身のいのちにかかわる事柄なのですから。


文明社会の危機管理にあたって、いま、もっとも大事なことは、 おそらく、統治における透明性の確保と情報の共有ということではないでしょうか。 昔ふうの言葉づかいをするならば、「信頼」と「連帯」ということになります。


さまざまの地域、国々の対応が異なっていたことを私たちは知っています。 私たちの社会がどのようなやり方で統治されているのか、 各地域のガヴァナンスのあり方を検証する絶好の機会を目の前にしているはずです。 そして、おそらく、いますぐにでも検証を始めるのでなければ、 検証の機会は永遠に来ないのではないかという危惧の念を強く持つものです。


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さて、ここまで長々とお読みくださったことに感謝いたします。 次回以降の「ニューズレター」は、現在、以下のようなスケジュールで配信する予定で おりますが、 その都度、試行錯誤を重ねながら、進めていくことになるかと思います。 ご寛恕願います。 配信の形式は、 ①学会HPへのブログ掲載方式 および ②オンライン方式 の2つの方式のうち、 どちらか、あるいは両方を組み合わせる等、ケースバーケースで選択していく予定です 。 ただならぬ状況下で迎えることになった2020年度ですが、 会員みなさまがたには、今後とも学会へのご支援とご協力を切にお願いする次第です。 くれぐれも、ご自愛ください。


2020年5月25日 社会デザイン学会 会長 北山晴一


2020-05-26

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