ニューズレターVol.7
第6回年次大会によせて
21世紀社会デザイン研究学会
会長 北山 晴一
(大会実行委員長・大阪樟蔭女子大学教授)
ことし、私たちの学会は設立後、6年目を迎えました。そしていま、学会はその存立の根拠と意義を問われる正念場に立たされています。
昨年、つまりは、3.11とその後の事態をいまだ知りえなかったなかで、私はみなさまに、次のような挨拶のことばを送りました。
「人類社会の文明システムは、いまや巨大な地殻変動を経験しつつあります。人類社会にとって最も大切なことは、この地殻変動の本質をしっかりと見きわめ、21世紀における新たな社会運営のスキルを発見し、創造していくことではないでしょうか」…と。
じっさい、いま、日本社会は、巨大な地殻変動のただ中にあります。そして、「新たな社会運営のスキルを発見し、創造していくこと」が、いまほど求められているときもありません。しかし、昨年、上のことばを記したそのときに、これほどまでに切迫した事態に直面するとは思ってもいませんでした。「社会をデザインする」、これは、まさしく言うは易く行うは難き業なのです。まことに心もとないかぎりです。
たしかに、日本では、否、日本においても、1980年代以降、さまざまな分野でパラダイムの転換の必要不可欠が叫ばれ、その萌芽ともいうべき試みや活動がはじまっていました。今回の地震・津波・原発事故という3重禍をともなった東日本大震災の被害は、阪神淡路大震災をはるかに超えるものではありますが、しかし、あのときに根付いた自助、相互扶助の精神がいま多くの人々の心を支える力になっていることも確実なことなのです。それは、3.11を境にして、いま私たち誰の心にも、「いのちかたち」がいかなるものであるか、はっきりと見えてきたことを意味します。
しかしながら、他方で、これほどの社会危機を目の当たりにしながらも、頑強に変わろうとしないものがあること、そのことにも、私たちはいま、はっきりと気づいています。「くにのかたち」は、残念ながらこれからもなかなか定まらないでしょう。「国は国を助けるが、しかし、国はひとを助けない」、これは、ある戦災被災者の残したことばです。肝に銘ずべきことばでしょうが、しかし、そうあってはならないことなのです。
3.11以降、私たちの学会では、シリーズ討論「3.11以後の日本と社会デザイン」を立ち上げ、これまで4回にわたって議論を重ねてきました。第1回「東日本大震災で何が起きたのか~まず現状把握から始めよう~」(4月23日、跡見学園女子大学)、第2回「東日本大震災~復興を考える前に」(5月28日、立教大学)、第3回「被災地研修」(9月4~5日、岩手県)、第4回「防災教育交流フォーラム」(10月15~16日、内閣府と共催、立教大学)。そして、本年度の大会では、2011年12月3日(土)、4日(日)の2日間にわたって、このシリーズ討論の中間総括を行う予定です。
初日は、「いのちのかたち、くにのかたち」をテーマに、栗原彬氏(立命館大学特別招聘教授、学会顧問)を迎えての対論と、「メディア」「原発」「支援」をめぐる3つの議論、学会総会と懇親会、そして2日目は、午前中に恒例の自由論題発表、午後は、原発事故で避難を余儀なくされている飯舘村の菅野典雄村長にお越しいただき、「飯舘村はよみがえる~飯舘村30年のくらし」をテーマにお話を伺う予定です。人々がともに生きる歓びを分かち合える社会を、どのようにデザインしていくのか。学会の内外を超えて、広くかつ厳しい議論が展開されることを願ってやみません。会員のみなさまのご支援、ご協力を心からお願い致します。